わっふるぶろぐ

わっふるが日々の出来事をただただ書いていきます~

ブログ始めました!!

タイトル通り!ブログ始めました!!わっふると申しますm(_ _)m

書き方全くわからないのですがとりあえずブログを始めた経緯を説明しますん!

ブログは前からやってみたいなと思ってたのですが、これを読んでようやく始める決心をしました!

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『学びを結果に変えるアウトプット大全 』(樺沢紫苑著、Sanctuary books)

 

この本の感想は別の記事で書くことにします。

 

とにかく!

 

この本が僕を後押ししてくれたことは事実!

読み終えて早速ブログを開設しました!

なるべく毎日投稿していきたいと思っています(三日坊主にはなりたくない…)

僕のプロフィールとかも別の記事でまた書きますわ!

 

皆さま今後ともよろしくお願いします🤲

 

 

 

 

よい人生の4大要素 その4「注意」

私が一番言いたかった、よい人生のとても大切な要素の一つは「注意」である。多くの人が、これまで紹介した三つよりも疎かにしている要素だ。あなたは、自分はそんなことないと思うかもしれない。物事を注意深く観察し、自分に最適な選択をしていると思っているだろう。しかし、本当だろうか。

以前までは、私たちにも注意力があった。狩猟採集社会では、背後から音が聞こえたら、それは獣が近づいている合図であり、すぐに振り向いて逃げることができた。目の前から何かが飛んできたら、目を瞑ったり、避けることができた。私たちの先祖は、注意力に長けていたのだ。

また、注意するものを選択する能力も十分あったカクテルパーティー効果を知っているだろうか。カクテルパーティーのように、たくさんの人がそれぞれ雑談している中でも、自分の興味がある人の会話、自分の名前などは、自然と聞き取ることができる。

しかし、残念なことに、情報化社会の現代では、私たちの注意力は大きく失われている。あなたは、SNSやニュースアプリを見るだろうか。私も最近まではSNSというものをやっていた。SNSでは、様々な人がありとあらゆる意味のない情報を、別に求めてるわけでもないのに、わざわざ私たちに提供してくれる。また、ニュースのほとんどは、全く役に立たない。どうでもいい芸能人のゴシップ、名前も知らないスポーツ選手の移籍、株価の変動、新型コロナのその日の感染者数。どれもあなたの人生に関係ないことばかりだ。現代社会は情報が増えすぎてしまったために、私たちの注意力は散漫になっている。

本来、「注意」というものは、私たちの重要な資源なのである。卓越した知恵、必要最低限のお金、平静な心を得るのに必要な資源である。その大切な資源を、SNSやニュースに奪われてはよい人生にならないと思わないだろうか。では、注意を奪われないためにはどうすればいいのだろう。私は最近、以下の三つのことを意識している。

一つ目、注意を削ぐものから距離を置くSNSやニュースアプリはインストールせず、広告媒体は見ないようにしよう。私も、SNSはアンインストールし、ネットでも広告機能を可能な限り停止している。

二つ目、「守り」ではなく「攻め」に徹する。注意を向ける方向は自分で決めるべきである。Wi-Fi設置の訪問販売に契約させられたのはいい思い出だ。あれ以来、自分が呼んだ訪問者以外、インターフォンに応じていない。

三つ目、新しいものに気をつける。新しいものは目立ち、世間から注目される。しかし、新しいもののほとんどは、実は取るに足らないものだ。そんな新しいものより、昔からあるものの方が重要である(これについてはいつか話す)。

 

知恵、金、心、注意。以上が、私が考えるよい人生に必要な4大要素である。これらは全てあなたがコントロールできるものばかりだ。しかし、実は、これらはよい人生の構成要素の1%にも満たないのだ。よい人生に一番大きな影響を与える99%のとある要素は、私たちにはコントロールできないものである。

10月21日

いやー今日は大変だった。

1限から対面授業。そして午後からの教授との面談。そしてオンライン授業に加えてブログ書くのに2時間もかかっちまった。ていうか面談ダメだったなぁ。たぶん。教授の反応良くなかったしなぁ。まあでもいい。どこだろうと最終的に自然によって入るべきところに入ることになるんだから。そんな心配なくなってしまうくらいはアタラクシアに近づけているのかもしれない。

さて、飯食って寝るぞ!さよなら!!

よい人生の4大要素 その3「心」

以前、哲学を学ぶことを勧めたわけだが、あなたは哲学の究極の目標と理想は何だと思うか。

古代ギリシア哲学の一学派であるストア派では、心の充実や平静さが保たれている状態を理想の状態とし、これを「アタラクシア」と呼んだ。

アタラクシアとは、心の平静不動なる状態のこと。乱されない心の状態。激しい情熱や欲望から自由な、平静な心のさま。

出典:アタラクシア - Wikipedia

アタラクシアは哲学における最大の成功であり、また、私たちが目指すべき成功の基準でもあるのだが、多くの人は成功の基準を見誤っている

私も20歳の頃まで、張りぼての成功を成功の基準とし、それを求めてきた。よい大学、よい仕事、よい収入、そして、よい地位を手に入れるために努力していた。しかし、それはどうしようもなく愚かだということに気づかされた。外側から見た、張りぼての成功に意味はない。なぜなら、その成功は、現代社会が勝手に定義した、私たち個人にはくだらないことだからである。

たとえば、世間の成功の基準に「高所得」というものがある。あなたに問いたいが、なぜお金をたくさん持っていることがすごいのだろうか。多大な努力をし、多くの人が求め続けているものを持っているからだろうか。たしかに、誰にでもできる芸当ではないが、根本的な理由ではない。答えは、資本主義経済によって所得を競わさせているからだ。私たちがお金を稼いで喜ぶのは、私たちではなく、日本国である。一体なぜ、国家のために私たちの成功の基準を定めなければならないのだろう。あなたは、あなたの成功の基準を設ければいい。

本来、私たちが目指すべき成功は、お金でも地位でも名誉でもなく、アタラクシアなのである。張りぼての成功は、自分でコントロールすることがほとんどできないし、その必要もない。

不安定な心は、あなたにストレスを与え、やる気を奪い、うつにさせ、精神的な病を患わせる。しかし、落ち着いた平静な心は、どんな困難が降りかかろうが、あなたをよい人生にし続ける

 

waffle202.hatenablog.com

 

よい人生の4大要素 その2「金」

多くの人が問い続けている質問として「人生で一番大切なものはお金か。」というテーマがある。あなたはどう思うだろう。私は、とても大切な要素であることには違いないが、とても注意深く扱うべきものと考えている。貧困層の人たちの幸福度が低いのは過去の研究データから明らかだが、それでは、お金は多ければ多いほど幸福感が増すのかと聞かれたら、そうでもない。なぜなら、所得と幸福度は比例関係でない

ある調査研究によると、世帯収入が約1200万円を超えると、追加収入が幸福度に与える影響はゼロになるらしい。これは、そんな意外な結果でもない。億万長者でも、仕事、生活、家族、健康、権威の維持、ノブレス・オブリージュ(権力者の義務)など、様々な問題を抱えている。

また、1978年に行われた有名な調査がある。研究者たちが、宝くじの高額当選者たちの幸福度を調べたのだ。その結果、高額当選を果たした数ヶ月後には、当選者たちの幸福度は、すでにそれ以前とあまり変わらなくなっていたことがわかった。

つまり、ある程度のお金があれば、生活がより豊かになっても幸福度は変わらない。しかし、だからといって、疎かにしていいものでもない。お金の大切さがわからない人はいない。それは、この社会で生きていれば、誰にでもわかることだ。だからこそ、このような質問が問われ続けるのだろう。お金はよい人生にとても大切な要素である。よって、私たちは、お金との上手な付き合い方を知っておかなければならない。私が特に注意していることは、主に二つある。

一つ目、所得や資産のわずかな変動に、いちいち反応しないこと。お金のわずかな変動によって、あなたの生活の質が変わることはない。そもそも、一喜一憂したところで、お金が増えるわけでもない。そんなことでストレスを抱えていては、よい人生にはならない。

二つ目、裕福な人と自分を比較しないこと。他人と比較したり、競争したりすることがよい人生にならないことは、以前から言っている。

お金のない生活が窮屈なのは間違いない。それでも、私が一番言いたいことは、知恵を得ればあらゆる困難を避けられ、平静な心があればどんな状況にも対応できるということだ。

 

waffle202.hatenablog.com

 

よい人生の4大要素 その1「知恵」

あなたは、よい人生には何が必要だと思うか。健康、娯楽、意義、仕事、親友、家族、愛、学力、地位、名誉。きっと他にも様々な要因があると思うが、ここではその中でも私が特に重要だと考えている、よい人生の4大要素を紹介する。

 

一つ目は「知恵」である。知恵という言葉はとても曖昧で、各学術分野や宗教によってその解釈は様々だが、私は心理学的側面から見た「重大、かつ、人生の根本に影響を与えるような実践場面における熟達した知識」という意味で捉えている。

このブログの記事はまさに私が手に入れた知恵そのものだ。私の考える「人生の防具」は人生の様々な困難や思考の誤りから自分を守ってくれる知恵である(少なくとも私の中ではそうなのだ)。では、この知恵はどのようにして身につくのか。

知恵は経験と年齢を重ねていくことで身につく。ただし、何も考えず、ただのうのうと生きていくだけでは身につかない。年齢を重ねるだけで知恵が得られると言うには、この世界はあまりにも無知で醜い大人が多すぎる。四聖人の一人に数えられる古代ギリシアの哲学者、ソクラテスも「単に生きるのではなく、善く生きる」意志を貫いた。知恵は求めようとしない限り、得られることはない。そして、卓越した知恵を求め続け、経験と年齢を重ねた者だけが叡智を得ることができる。

では、若者には得られないものなのかと言えば、そうでもないと思う。私は、たとえ年齢が低くても、よく本を読み、物事を広く深く考え、様々な経験をするため自ら行動し、それを続けていくことで得られると考えている。

あえて学問として知恵を得ようとするならば、哲学を学ぶことをおすすめする。哲学と聞くと難しそうで敬遠しがちだが、私はそんな難しいことではないと思っている。哲学は英語で「フィロソフィー」(philosophy) といい、語源は古典ギリシア語の「フィロソフィア」(φιλοσοφία)であるが、これは「愛」を意味する「フィロス」(φίλος)と、「知」を意味する「ソフィア」(σοφία)が結び合わさったものであり、「知を愛する」という意味である。あなたが物事を知ることを愛し続ければ、知恵は自然と身についてくる。現代思想において多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインも著書『論理哲学論考』で、「哲学は学説ではなく、活動である」と言っている。

 

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感情に訴える

以下の二つの文章は「西葛西」の説明文である。まずはそれぞれを読み比べてほしい。ただし、流し読みで構わない。

  • 西葛西は、東京都江戸川区の町名。人口は2万2464世帯、4万5347人(2017年1月)。江戸川区南部に位置し、葛西地域に属する。荒川と併走する一級河川中川の東岸にあたる。海抜ゼロメートル地帯に位置する。低地化の一因は地盤沈下であり、特に西葛西二丁目は1968年(昭和43年)の1年間に23.89cmの沈下という記録を作った。江戸川区球場などプロの使用にも耐える本格的なスポーツ施設が整備されている。これらの施設は総合レクリエーション公園や都市再生機構の団地、親水公園と一体的に都市設計されている。住宅地の地価は、2017年(平成29年)の公示地価によれば、西葛西7-23-14の地点で42万5000円/m2となっている。江戸川区内で最も地価が高い。1979年(昭和54年)に東京メトロ東西線西葛西駅が開業した。1980年(昭和55年)4月1日に江戸川区立西葛西中学校が開校した。臨海町の葛西臨海公園は1989年(平成元年)に開園した。
  • 私は20歳の頃まで、西葛西という所に住んでいた。小さな町だが、非常に多くの人が住んでいる。なんと、近くのスーパーに寄るだけでも100人以上の人に出会うのだ。西葛西の特筆すべきは、子どもが多いことだ。公園ではいつもたくさんの子どもが楽しそうに遊んでいる。少子化の現代にしては珍しいと思わないだろうか。おそらく、江戸川区スポーツセンターや江戸川区球場などのスポーツ施設や、総合レクリエーション公園などのレジャーランドが多いことが理由なのだろう。また、在留インド人が多いのも特徴だ。あなたの町には在日外国人がどれくらいいるのだろうか。西葛西では民族衣装を着たインド人をよく見たものだ。また、西葛西駅では世にも珍しいムクドリの大群が見られる。あなたはその光景を見たらきっと驚くに違いない。

最初はウィキペディアの説明文で、二つ目は私が書いた文である。比べると、私の文の方が拙く、情報量も少ないだろう。しかし、わかりやすさの観点からすると、私の文の方が圧倒的に読みやすく、興味が湧くはずだ。ウィキペディアや学術論文と、小説やブログや自己啓発本との違いはなんだろう。それは、人が話しているかどうかだ。誰かがあなたに話しかけているのではなく、ただ事実が書いてあるだけの文はつまらない。ではなぜつまらないのか。理由は主に二つある。

一つ目、狩猟採集社会ではそもそも文字がなかった。人類が文字を使い始めたのは5千年ほど前からであり、脳には文字の読み書きを行う中枢領域は存在しない。人の脳は本来、文字を読むことに適していない。人が誰かに何かを伝えるのは必ず人だった。私たちはそんな先祖の遺伝子をしっかりと受け継いでいる。だから、人が話しているような文は読みやすく、公文書のような文は読みにくい。

二つ目、私たちの先祖は物事の仕組み、構造、理屈には興味がなかった。人は人に関することにしか興味がなかったのだ。りんごが木から落ちる仕組みなどどうでもよく、それが食べられるかどうかが重要だった。数学、科学、論理学、コンピュータ科学が一般に興味を持たれないのも無理はない。誰かが話しているわけでもなく、人と関係ない物事にはあまり興味が湧かない。

論理的で抽象的な文は、見た目は美しいが分かりづらい。では、どうすれば面白く読みやすい文になるか。公的文書でもない限り、次の二つを実践してみるといい。

一つ目、相手の感情に訴えかける。相手に疑問を投げかけてみたり、共感を求めながら文や話を展開するといい。ヒトラーも著書『我が闘争』で「プロパガンダが焦点を合わせるべきは専ら感情に他ならず、知能へは非常に限られた場合のみである。」と著している。ヒトラーの演説力がなければ、ナチのプロパガンダは民衆に届かなかっただろう。

二つ目、文に登場人物を作る。具体的には、書き手と読み手を意識する。または、仮想の登場人物たちに会話を展開させるのもいい。小説はこれを楽しむものであり、わかりやすい参考書は著者側の先生と読者側の生徒の対話形式になっているだろう。

また、相手に伝えるときは例え話を交えて、できれば演説するといい。ヒトラーも「人を味方につけるには、書かれた言葉よりも語られた言葉のほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」と演説の力を極めて高く評価していた。

本音で語るべきか?

あなたは本音をよく言うだろうか。世間は、隠し事をするのは悪く、オープンな人になることを良しとする。よい人生の秘訣として「できるだけ本来のあなたのままで正直であれ」というアドバイスをよく聞く。しかし、本音はさらけ出さない方がいい。理由は三つある。

一つ目、私たちは自分のことをよく知らない。感情というのは曖昧で、気まぐれにやって来ては勝手に去って行く小鳥のようなものだ。冷静になったとき、なぜ自分はあんなこと言ったのだろうと不思議に思ったことはないだろうか。10秒前までのあなたの本音は、今のあなたが思っていないことかもしれない。

二つ目、心理的な境界線がなくなる。他人との境界線を持たないということは、「自分をいいように利用してください」と言っているようなものだ。コンピュータネットワークの世界には、外部から攻撃されないように通信相手を選別するファイアウォールというものが存在する。あなたも心のファイアウォールを設置すべきだ。

三つ目、あなたの本音は滑稽に見える。政治家や芸能人が大衆の前で本音をさらけ出し、散々な目に遭っているのを見たことがあるだろう。たしかに、これは10年ほど前までは他人事だったかもしれない。しかし今はどうだろう。ツイッターフェイスブックなどのSNSでは「本音と建前」という日本人の美学などもはや忘れ去られ、本音をさらけ出す社交場と化している。あなたはこの危険区域に近づくべきではない。

結論。自分の中に「第二の人格」を創ろう第二次世界大戦の英雄で、のちに大統領にもなったアイゼンハワーは、「意識的に外の世界に向けた人格を作り上げていた」という。他人があなたの第二の人格に期待するのは、約束を守ること、常識を知っていること、相応しい態度で接することだけである。