わっふるぶろぐ

わっふるが日々の出来事をただただ書いていきます~

ビュリダンのロバ

お腹を空かせたロバが一本道を歩いている。すると、左右2方向の分かれ道に差し掛かった。双方の道の先には、完全に同じ距離、同じ量の干草が置かれていて、甲乙つけがたい。ロバはどちらの道に進むべきか悩み続け、結局、ロバはどちらの道も進まず、そのまま餓死してしまう。

この話は、「ビュリダンのロバ」と呼ばれ、意思決定論を論ずる場合によく引き合いに出される。フランスの哲学者、ジャン・ビュリダンの主張を批判するときに用いられる例え話である。意思決定論自体は非常に難解なためここでは割愛するが、重要なのは、あなたはこのロバのようになってはいけないということだ。

このロバには、右の道に進んでも、左の道に進んでも、同じ結果になることが予測できた。少なくとも、どちらも餓死するよりはまだいい。しかし、どちらかを選択するには、主に二つの「選択の壁」がある。

一つ目、選択には後悔が付き物だ。「こちらではなく、あちらを選択していれば」と、人は後悔をしてしまう。私もつい最近まで、大学のことでひどく後悔していたものだ。おそらく、あなたも「別の選択の方が良かったのではないか」と思ったことがあるだろう。しかし残念ながら、それを確認する方法はほとんどない。なぜなら、別の選択をした場合の結果を知ることができないからだ。つまり、後悔は無駄なことなのだ。私たちは、それを知っているにもかかわらず、後悔をしてしまう。

二つ目、選択する要因がない。甲乙つけがたい選択肢には、一方を選択する理由がない。このロバの場合、右の道を選ぶなら、左の道を選んでもいいわけであり、逆もまた然りである。

その結果、このロバは愚かにも、餓死という選択をしてしまった。「選択の壁」は、時に「死」よりも痛いものなのだ。私たち人間も、このロバと同じような状況になった場合、死を選択するのか。そんなわけはない。私たちは、すでに子どもの頃から、ビュリダンのロバの解決策を知っている。

筆記試験には、ア、イ、ウ、エの中から一つを選ぶ選択問題がよくある。このとき、答えを一つに絞り込むことができなかった場合、あなたならどうしていたか。おそらく、鉛筆を転がすか、神のお告げに頼っていただろう。しかし、大人になった今では、そのような行為は推奨されない。理性・理論を尊重し、論理的に答えを導き出すことが求められる。その結果、どの選択肢も選べないまま、ただ時間が過ぎるか、無回答となってしまう。

結論。私たちは、物事をよく考え、選択肢をある程度絞り込む必要がある。しかし、甲乙つけがたい選択肢に陥った場合、運に頼っていい。そもそも、甲乙つけがたい選択肢は、どちらを選んでもあなたに同じような結果をもたらす場合が多い。人生は試験問題と違い、正解・不正解は存在しない。選択の壁が目の前に現れたら、ビュリダンのロバを思い出そう。