わっふるぶろぐ

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過剰選択肢のパラドックス

磁界を指導する準備は万全だった。理科の記録簿には既に指導範囲と今週の宿題を記録している。休憩時間を余裕で過ごしていたそのとき、私は塾長に呼び出された。記録簿を確認した塾長は、「苦手分野も指導すべきだ。」と私に注意を促した。授業の内容は基本的に担当講師が決めるのだが、塾長や生徒や保護者の意向が優先される。そして塾長は、私が最も恐れていた指示を出した。

「今日の授業は苦手分野がいいか予定通りの磁界がいいかを生徒に選ばせてくれ。」

生徒が苦手分野を選んだ場合、私のこれまでの準備はすべて無駄になり、記録簿の内容を修正し、新たな単元の準備をしなくてはならない。そこで、どうしても予定を変更したくない私は、大人気ないワナを生徒に仕掛けた。

「今日、苦手分野をやりたいなら、火山・地震、電気回路、状態変化、光・音・力、植物の分類、気象、酸化・還元の中から好きな単元を選んでいい。」

苦手分野の方に大量の選択肢を提示したのだ。これは一見、生徒に大きなチャンスを与えてしまっているように見える。生徒にとっては、これらの単元の中に磁界よりもやりたい選択肢があったはずだ。しかし、生徒はそれを選ぶことができない。なぜか。選択というのは苦痛だからだ。大量に提示された選択肢を一つ一つ吟味することなど到底できない。案の定、悩みに悩んだ生徒は思考の飽和点に達し、正常な判断ができなくなった。結果、私の思惑通り、磁界を指導することになった。

本来、選択肢が増えると、より良い候補が現れる可能性が高くなるため、決定の質も高くなるはずである。しかし実際には、選択肢が増えすぎるとかえって良い選択ができなくなってしまうことがある。私は、この現象を勝手に「過剰選択肢のパラドックスと呼んでいる。あなたも大量の選択肢や組み合わせに悩まされた経験があるのではないだろうか。

転職先は自分だけでは決められない。大学の履修登録は煩雑を極めている。物件探しは1日では終わらない。バイキングは食べきれない量をとってしまう。ファッションは無限の組み合わせがある上、正解はない。

だが安心してほしい。大量の選択肢が苦手なのは、あなただけではない。決定理論の専門家でも、すべてのメリット・デメリットを評価し、利益を算出することなどできない。第二次世界大戦において、パリ解放の英雄と謳われたシャルル・ド・ゴールも、「246種類ものチーズがある国をどうやって治めればいいんだ」と言っている。

では、過剰選択肢のパラドックスを起こさないためにはどうすればいいか。それには、高度な決定理論の知識など必要ない。私はよく以下の二つのステップにより、意思決定を行っている。

オッカムの剃刀

オッカムの剃刀の本来の意味は、「ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきではない」とする指針である。つまり、「説明の際には、説明に不要な仮定を排除すべき」という意味だ。しかし、私は少し解釈を変えて、意思決定の際には、決定に不要な選択肢を排除すべきと捉えている。たとえば、あなたが元プログラマーで転職を考えているならば、パティシエやファッションデザイナーという選択肢は排除してかまわない。

⒉ビュリダンのロバ

「ビュリダンのロバ」に関しては以前も紹介した。最終的に残った選択肢は、どれも同じような結果となる可能性が高い。甲乙つけがたい選択肢に悩まされる必要はない。あとは運に頼っていい。

 

waffle202.hatenablog.com

 

結論。多様化しすぎた現代社会では、選択は自由ではなく、苦痛である。大量の選択肢が与えられたら、「オッカムの剃刀」と「ビュリダンのロバ」を実践しよう。また、注意すべきは、大量の選択肢はなるべく人に与えてはいけない。あなたが恋人をデートに誘うとき、デートスポットはあなたが主導で決めよう。