わっふるぶろぐ

わっふるが日々の出来事をただただ書いていきます~

10月16日

さて、久しぶりに日記を書いていこう。

なかなか忙しい1日だった。

オンラインとはいえ1限から5限までフル時限でしかも10時までバイトでしたわ。

初めて担当した生徒が地獄ぐらい頭が悪くて大変だったわい。

不安材料が一つあるけどまあ今はいいわ。今考えても何も変わらないし。

さて、ユーチューブの違法アップ動画でも見て寝ますか。

さよなら👋

公正世界誤謬

あなたは「信じる者は救われる」と思うだろうか。また、良いことをすれば報われ、悪いことをすればバチが当たるのだろうか。

「公正世界であるこの世界は、全ての正義は最終的には報われ、全ての罪は最終的には罰せられる」という信念を公正世界信念という。公正世界信念の保持者をここでは仮に公正世界信者と呼ぼう。そして、公正世界信者は非常によい人生を送っていることが研究により立証されている。

公正世界信者は生活満足度と幸福感が高く、抑うつ的な感情が低い。また、公正世界信念が心理的なバランスや長期目標を維持する基盤となっている。そして、公正世界信者は行動が利他的であり、ボランティアや身体障害者に対して積極的な援助をする傾向があるという。

では、公正世界信者になるとよい人生を送られるのだろうか。私はそんなことないと思っている。それには虚偽の原因の誤謬が関係している。

 

waffle202.hatenablog.com

 

公正世界信者になるとよい人生を送られるわけではなく、すでによい人生を送っている人の中に公正世界信者が多いだけである。性別や人種などの違いに関する研究によれば、黒人とアフリカ系アメリカ人の公正世界信念のレベルが最も低いらしい。生活レベルが低く、今日を生きるのに精一杯の人は、この世界の残酷さと不公正さをよく理解している。

私は、公正世界信念は不公正な出来事に対する解釈の仕方に問題があると思っている。よく取り上げられるのは犠牲者非難だ。罪のない人々が苦しんでいるという不公正な現実は公正世界信念に矛盾する。このとき、認知的不協和を起こし、「実は彼らは前世で悪い行いをしたのだ」という新たな認知を追加する。濡れ衣を着せられ、他人から責められる。これはまさに、公正世界信者が世界の不公正さをより強調している「因果応報」は最もくだらない四字熟語ではないだろうか。

また、公正世界信念は非科学的である。公正世界信者はこの世界を輪廻転生、大宇宙の正義、運命、摂理などで説明しようとする。この考え方自体は自分を納得させるのに十分役立つ。しかし、現在、世界の仕組みを真に説明できる可能性があるのは科学のみである。公正世界信念は現実逃避でしかない。

結論。あなたがもし公正世界信者なら、世界は平等に見え、よい人生を送っているのだろう。公正世界信念は公正世界誤謬ともいい、本当はただの思い込みに過ぎないが、その信念を曲げる必要はない。あなたは、今の充実した生活に感謝すべきだ。また、あなたが公正世界信者でないなら、公正世界信念を持つ必要はない。これからよい人生にしていけば、世界は平等に見えてくるのかもしれない。

虚偽の原因の誤謬

以下の三つの因果関係について考えてほしい。

  • あなたは今、目の前を何台も通過する消防車と救急車を見ている。あなたはきっと、大規模な火災が起きたに違いないと考えるだろう。出動する消防士の人数が多いほど、火災の規模は大きいことは経験則で知っている。では、消防士の人数を減らせば、火災は小さくなるのだろうか
  • ハーバード大学の研究によると、コーヒーを毎日数杯飲む人は、全く飲まない人と比べて自殺率が50%も低くなるという。これはおそらく正しい統計結果なのだが、この場合、コーヒーを飲むことがうつ病の予防になるのだろうか
  • あなたは正月のおみくじで大吉を引いたとしよう。その年の年末、一年の総括をすると、重い病に罹らず、仕事で成功し、新たな恋人に出会えた。さて、おみくじの結果によって、その年の運勢が決まるのだろうか

科学や統計学の世界では、「相関関係は因果関係を含意しない」という語句がよく使われる。相関関係があるだけでは因果関係があるとは断定できないという意味だ。そして、そのことに気づかず先ほどのような誤った因果関係を主張することを虚偽の原因の誤謬(ごびゅう)という。では、どうすれば虚偽の原因の誤謬を回避できるのか。その因果関係が正しいかどうかは、以下の三つの可能性を検討するとよい。

一つ目、因果関係が逆転している可能性がある。消防士の人数を減らせば、火災は小さくなるのではなく、火災が小さければ、消防士の人数が少なく済むのである。

二つ目、他の要因が二つの共通原因である可能性がある。うつ気味でなく生活が安定している人は、コーヒーを飲む余裕があるし、自殺をしないだけである。

三つ目、それは偶然の一致の可能性がある。その年の良かった出来事だけを見て、それを大吉を引いたおかげにするのは間違っている。

結論。虚偽の原因の誤謬はあらゆる問題に誤った結論を出してしまう恐れがある。何か因果関係を見つけたときはこの思考の誤りに注意しよう。

計画力ではなく修正力

私がまだ高校生だった頃、よい人生には完璧な人生設計を立て、最高の初期条件(一番いい大学へ入学)が必要だと考えていた。初期に設計した計画というのは大抵思い通りにならないというのに。

私たちは、計画を立て、それが必ず成功することを期待してしまう。現状を十分に把握し、成功へ導く完璧な初期条件を必死に検討する。しかし、現実は様々な要因が複雑に絡んでいて、その全てを理解し、予測することは不可能である。不測の事態が起こらない保証などない。

国家プロジェクトである第五世代コンピュータは、多くの専門家による国際会議を何度も重ね、570億円を費やした結果、大失敗に終わった。また、2020年東京オリンピックでは、国立競技場の建設費は当初より大幅に増え、新型コロナウイルスの影響により延期が決定した。

完璧な計画は存在しない。それでも私たちは入念に準備をして、最高のスタートを切ることが必要だと考えてしまう。そして、その計画が失敗すると自分を叱責し、ストレスを抱える。

では、自分が立てた計画をどう捉えるべきか。まず、初期の計画通りの展開など滅多にないことを理解する。計画通りにならなかったのは、あなたが悪いわけではないことがほとんどだ。そして、一番大事なことは、不測の事態が起こる度に計画を修正していくことだ。あなたが鍛えるべきは、完璧な計画を立てる能力ではなく、状況に応じて修正する能力なのだ。

先延ばし

あなたは重要な仕事や課題を先延ばしにしていないだろうか。先延ばしは一般的な人間の経験であり、それが自分のためにならないことは誰でもよくわかっている。しかし、それでも人は先延ばしをしてしまう。

なぜ人は先延ばしをしてしまうのか。原因は様々だが、私は一番の原因は意志力の欠如だと思っている。本当はやりたくない課題を実行するにはこの意志力が必要になるが、これがとても厄介な代物である。ある研究によれば、意志力はエネルギーのような限られた資源であるという。つまりそれを過度に使用しすぎると、短期的には枯渇してしまうのである。

私はつい最近まで、重要な仕事や課題は延ばした時間が長いほどやりたくなくなると思っていたが、本当は先延ばしにした回数が多いほどやりたくなくなることに気づいた。先延ばしにする度に意志力を消費し、やる気がなくなっていく。つまり先延ばしの対処には、先延ばしの回数を減らす必要がある

私がおすすめする対処法は、計画を立てることだ。実行するタイミングを設定すれば、課題のことを考え込む必要はなくなり、先延ばしをせずに済む。また、期限のない課題については、いつまでに完了させるか期限を設け、同じように実行計画を立てる。私も、今日を電気代を振り込みに行く期日にしているし、明日学費を払いに行く予定だ。また、課題の量が多いときは、行うべきことをいくつかのパートに分け、中間目標を設定するといい。ただし、注意すべきは、計画は完璧にするのではなく、修正することに注力するように。

 

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他人の評価から自由になる

私は成人する頃まで、他人の評価が気になって仕方なかった。頭がいいと思われたく、かっこいいと思われたく、また、運動音痴と思われたくなかった。私は他人の評価を自分の価値基準とし、良い評価を貰おうと必死になった。

私はつい最近、こんな質問を受けた。本当は頭がいいのに、他人から頭が悪いと思われるのと、本当は頭が悪いのに、他人から頭がいいと思われるのとではどちらがいいか。当時の私なら絶対に後者を選んでいたが、最近は圧倒的に前者の方がいいと思っている。他人の評価を気にし過ぎてはよい人生にならないと気づいたのだ。理由は主に四つある。

一つ目、あなたの能力と他人の評価は関係ない。あなたがどれだけ努力しても、他人の評価は変えられない。また、他人からどう思われようが、あなたはあなたのままである。

二つ目、誇大癖がついてしまう。つまり本来の自分より優れた人間であると思わせたくなってしまう。しかし、時が経てば本来のあなたにふさわしい評価がおのずとついてくる。最初に誇大宣伝すれば相手から過度な期待を受け、それに応えようとするのは大きなストレスになる。

三つ目、そもそも、人は他人を評価することが苦手である。ドイツ国首相であり、最高指導者であったヒトラー第一次世界大戦中、「指導力が欠けており、部下を持つことになる階級には相応しくない」と司令部に判断された。また、20世紀最高の物理学者と評されるアインシュタインは、チューリッヒ連邦工科大学に一度落とされ、大学の助手にされず、相対性理論に関する論文は受け入れられなかった。あなたは的外れな他人の評価を気にする必要はない。

四つ目、大きなストレスになる。ストレスを感じていてはよい人生にはならないのだ。

結論。他人の評価や意見は参考程度に収め、自分の基準を大事にしよう。他人の基準は千差万別なため、すべての人から良い評価を受けることなどできない。だがあなたの基準は唯一無二であり、目指すべき目標は明確だ。ただし、その基準は十分検討し、なるべく世間とズレないように。

情報の取捨選択

私たちは日々、膨大な数の情報を手に入れている。その情報の中には、あなたの人生にとても役立つ情報もあれば、あなたには一切関係ない情報もある。しかし、多くの人は情報の取捨選択が苦手である。

たとえば、世間のあなたへの評価とあなたの仕事の将来性、どちらか一方を知る事ができるとした場合、あなたはどちらを選択するだろうか。また、好きな芸能人のスキャンダルとあなたの明日の仕事内容ではどうだろう。

私はつい最近までツイッターをやっていた。ツイッターフェイスブックなどのSNSでは、それこそ莫大な情報が蔓延していて、自分の知りたい情報を手に入れることができる。しかし、その中の99%はガラクだ。自分の人生に役立つ情報は何一つない。友達の愚痴やゴシップや朝起きた時間を知って何になるのだろう。それでも、「知りたい」という理由だけで利用してしまう。SNSはジャンクフードのように、美味しくは感じるが身体には毒でしかない。

多くの人は、情報を知りたいかどうかを基準にして取り入れている。しかし、本来は知るべきかどうかを基準にするべきなのだ。あなたへの陰口や芸能人のゴシップは知りたいだろうが、あなたのキャリアや仕事には役立たない。

ただし、注意すべきは、たとえそれが知るべき情報でも、神経質に取り入れる必要はないフォーカシング・イリュージョンといい、「特定の要素だけに着目し過ぎると、その影響が実際より大きく見える」という思考の罠に陥る可能性がある。私の知り合いは、新型コロナウイルスのニュースを見過ぎた結果、決して誰とも会わず職場にも買い出しにも行かないという行き過ぎた感染対策をしてしまった。

SNSやニュースを避けることはまさに人生の防具だ。思考や行動の誤りを回避できるとてもいい対策だ。そのかわり、出来事の背景関係を詳しく記した本を読むといい。知識を得るのに本ほど適したものはない。