わっふるぶろぐ

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記憶ではなく記録する

突然だが、問題である。

「1940年時点でのドイツ国首相は誰か。」

20世紀のドイツの首相(東西分裂など色々とややこしく、たくさんいる)を全員暗記していれば、すぐにわかるだろう。しかし、そんな者はいないはずだ。それでも、この問題は簡単である。この頃、第二次世界大戦が勃発したことはほとんどの人が知っているし、歴史に詳しい人は、1939年9月1日にドイツ軍がポーランドに侵攻したことを知っているだろう。正解はアドルフ・ヒトラーである。おそらくあなたは、「1940年のドイツの首相はヒトラーだ。」と記憶してなかっただろう。では、なぜあなたはこの問題に正解できたのか。それは、事象をストーリーとして記憶しているからだ。私たちの脳は、ひとつひとつの出来事を繋げて、コンパクトで筋の通った、因果関係がはっきりしたストーリーに仕立て上げる。これは本来、この問題が解けるように、便利な機能ではあるのだが、残念ながら大きな問題を抱えている

おそらく、あなたのこれまでの人生のストーリーには一切の矛盾がないのだろう。辻褄が合わない事柄は都合よく忘れられ、思い出せない部分は驚くべき独創力で穴埋めされる。私たちの記憶のストーリーはリアリティに欠けている。リアリティに欠けた記憶には、主に二つの問題がある。

一つ目、人生は実際より計画可能なものに見えてしまう。以前にも言ったように、人生は偶然に満ちていて、運に頼らざるを得ない場面が多い。また、現実はあなたが記憶しているストーリーよりも複雑で矛盾が多いのだ。

二つ目、自分を過大評価してしまう。私たちは、実際の自分より優秀で、美しく、頭が良く、成功していると思い込んでいる。私の高校の同級生も、「当時の自分は痩せていてかっこよかった。」と言っていたが、高校の卒業写真を見ると、そんなことはなかった。自分の評価を間違うと、誤った決断をしてしまったり、友人に見下される。

あなたは、映画『メメント』をご存知だろうか。数分前の記憶を忘れてしまう前向性健忘の主人公が、数分前の自分が残したメモを頼りに妻殺しの犯人を追う。主人公は劇中でこんなことを言っていた。「記憶は部屋の広さも車の色も間違える。記憶は思い込みだ。記録じゃない。事実とは違ってる。」

結論。「記憶」は、私たちが思っているほど当てにならない。「記録」を残そう。具体的には、日記を書いたり、私のようにブログを書いてみよう。