わっふるぶろぐ

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以下の二つの文章は「西葛西」の説明文である。まずはそれぞれを読み比べてほしい。ただし、流し読みで構わない。

  • 西葛西は、東京都江戸川区の町名。人口は2万2464世帯、4万5347人(2017年1月)。江戸川区南部に位置し、葛西地域に属する。荒川と併走する一級河川中川の東岸にあたる。海抜ゼロメートル地帯に位置する。低地化の一因は地盤沈下であり、特に西葛西二丁目は1968年(昭和43年)の1年間に23.89cmの沈下という記録を作った。江戸川区球場などプロの使用にも耐える本格的なスポーツ施設が整備されている。これらの施設は総合レクリエーション公園や都市再生機構の団地、親水公園と一体的に都市設計されている。住宅地の地価は、2017年(平成29年)の公示地価によれば、西葛西7-23-14の地点で42万5000円/m2となっている。江戸川区内で最も地価が高い。1979年(昭和54年)に東京メトロ東西線西葛西駅が開業した。1980年(昭和55年)4月1日に江戸川区立西葛西中学校が開校した。臨海町の葛西臨海公園は1989年(平成元年)に開園した。
  • 私は20歳の頃まで、西葛西という所に住んでいた。小さな町だが、非常に多くの人が住んでいる。なんと、近くのスーパーに寄るだけでも100人以上の人に出会うのだ。西葛西の特筆すべきは、子どもが多いことだ。公園ではいつもたくさんの子どもが楽しそうに遊んでいる。少子化の現代にしては珍しいと思わないだろうか。おそらく、江戸川区スポーツセンターや江戸川区球場などのスポーツ施設や、総合レクリエーション公園などのレジャーランドが多いことが理由なのだろう。また、在留インド人が多いのも特徴だ。あなたの町には在日外国人がどれくらいいるのだろうか。西葛西では民族衣装を着たインド人をよく見たものだ。また、西葛西駅では世にも珍しいムクドリの大群が見られる。あなたはその光景を見たらきっと驚くに違いない。

最初はウィキペディアの説明文で、二つ目は私が書いた文である。比べると、私の文の方が拙く、情報量も少ないだろう。しかし、わかりやすさの観点からすると、私の文の方が圧倒的に読みやすく、興味が湧くはずだ。ウィキペディアや学術論文と、小説やブログや自己啓発本との違いはなんだろう。それは、人が話しているかどうかだ。誰かがあなたに話しかけているのではなく、ただ事実が書いてあるだけの文はつまらない。ではなぜつまらないのか。理由は主に二つある。

一つ目、狩猟採集社会ではそもそも文字がなかった。人類が文字を使い始めたのは5千年ほど前からであり、脳には文字の読み書きを行う中枢領域は存在しない。人の脳は本来、文字を読むことに適していない。人が誰かに何かを伝えるのは必ず人だった。私たちはそんな先祖の遺伝子をしっかりと受け継いでいる。だから、人が話しているような文は読みやすく、公文書のような文は読みにくい。

二つ目、私たちの先祖は物事の仕組み、構造、理屈には興味がなかった。人は人に関することにしか興味がなかったのだ。りんごが木から落ちる仕組みなどどうでもよく、それが食べられるかどうかが重要だった。数学、科学、論理学、コンピュータ科学が一般に興味を持たれないのも無理はない。誰かが話しているわけでもなく、人と関係ない物事にはあまり興味が湧かない。

論理的で抽象的な文は、見た目は美しいが分かりづらい。では、どうすれば面白く読みやすい文になるか。公的文書でもない限り、次の二つを実践してみるといい。

一つ目、相手の感情に訴えかける。相手に疑問を投げかけてみたり、共感を求めながら文や話を展開するといい。ヒトラーも著書『我が闘争』で「プロパガンダが焦点を合わせるべきは専ら感情に他ならず、知能へは非常に限られた場合のみである。」と著している。

二つ目、文に登場人物を作る。具体的には、書き手と読み手を意識する。または、仮想の登場人物たちに会話を展開させるのもいい。小説はこれを楽しむものであり、わかりやすい参考書は著者側の先生と読者側の生徒の対話形式になっているだろう。

また、相手に伝えるときは例え話を交えて、できれば演説するといい。ヒトラーも「人を味方につけるには、書かれた言葉よりも語られた言葉のほうが役立ち、この世の偉大な運動はいずれも、偉大な書き手ではなく偉大な演説家のおかげで拡大する」と演説の力を極めて高く評価していた。ヒトラーの演説力がなければ、ナチのプロパガンダは民衆に届かなかっただろう。