わっふるぶろぐ

わっふるが日々の出来事をただただ書いていきます~

対立する意見への憶測

あなたが今まで観た中で一番面白いと感じた映画を思い出してほしい。きっと、あなたはその映画を何度も観たことがあって、また、もう一度観たいと思っているのではないだろうか。続いて、その映画を映画史上最悪の駄作だと言う人を想像してみてほしい。あなたはこの人の意見をどう思うだろうか。本当はその映画を観たことがないのだろう、その映画の見方を間違えたのだろう、映画を楽しめる人生を送ってないのだろう、など様々な憶測をしたのではないだろうか。

あなたはなぜ憶測で物を言ってしまったのか。それは「認知的不協和」が原因である。

認知的不協和(にんちてきふきょうわ、英:cognitive dissonance)とは、人が自身の認知とは別の矛盾する認知を抱えた状態、またそのときに覚える不快感を表す社会心理学用語。

出典:認知的不協和 - Wikipedia

「その映画は面白い」という認知1と、「その映画は映画史上最悪の駄作」という認知2は矛盾する。そのため、あなたはこの矛盾を解消しようとする。しかし、強情なあなたは、あなたの意見である認知1を決して修正しようとしない。そこで、他人の意見である認知2に修正を加える。もしくは、新たな認知を追加して矛盾を弱める。これが、あなたが勝手な憶測をしてしまった理由である。

しかし、あなたの、他人の意見(結局はその人の感情が基になっている)に対する勝手な憶測は大抵間違っている。理由は二つある。

まず一つ、他人の感情は他人のものであり、それを確認する方法は存在しない。あなたは真に他人と共感することはできない。あなたは共感のド素人なのだ。その証拠に、名俳優が演じた偽りの感情に共感したことはないだろうか。

次に、「感情」は不正確で信頼性に欠けている。たとえば、あなたは今視界に入っているものを正確に言うことができると思うが、あなたが今どう感じているかを正確に言うことはできないはずだ。

正確でもなく、確認する方法もない他人の感情が、あなたにわかるはずがない。間違った憶測は、あなたを納得させることはできるが、あなたの人生には役立たない。では、私たちは対立する意見とどう向き合うべきか。

まず、意見が対立する人と対話をしてみるといい。自分の勝手な憶測が如何に間違えているかに気づくことができる。しかし、それでもその人と真に共感することはできない。

そして、一番大事なことは、対立する意見に加筆せず、あなたの意見を見直すことだ。それと、注意すべきは、対立する意見を無かったことにしてはいけない。共感はできなくとも、そういう意見もあるという事実だけは心に留めておこう。対立する意見を聞くのは気分がいいものではないが、無視し続ければあなたの視野は狭いままだ。